-「見る」と「見える」-

ロンドンのアレクサンダーテクニークのトレーニングコースには、日本に数年住んでいたことのある先生がいらっしゃいました。
ずいぶん忘れてしまったわ、と言いながら時々日本語を交えてレッスンしてくれました。
その先生のレッスンの中で一番よく覚えていること。それは「見る」と「見える」。

英語には「see」という単語しかないけれど、日本語には「見る」と「見える」という言葉があって素敵ね。

その言葉の意味を今日あたらめて思い出しました。

楽器演奏をされていらっしゃる生徒さんと舞台での本番に関して話していた時です。
ステージ脇から中央に出てくるまで、何を見ていましたか?という話をしていました。
実際何かをみて歩いていたはずなのに、改めて考えると記憶がおぼろげ。
話をしていく中で過去の経験の話しになりました。

ある日客席を見ていたらよそ見している人がいた。その人を見たときに自分が音楽に集中できなくなったとの事。

その話を聞いたときに、ロンドンの先生がよく話をされていた「見る」と「見える」を思い出しました。

自分から「見て」しまうと、その対象物に目も心も頭も全部奪われてしまうかもしれない。
客席でよそ見する人、あくびする人、居眠りする人。
どうしてよそ見しているの?どうしてあくびしているの?演奏がつまらない??
そんな目に見えるものすべてを「見て」しまうと主観的に捉えてしまい、気持ちが音楽から離れていく。

では「見える」という視点ではどんな景色が見えるのでしょうか?
「見える」視点でも景色は一緒。
客席でよそ見する人、あくびする人、居眠りする人。
そんな同じ風景を「見える」視点で「客観的」に見る。
その全ての景色の中を自分の音楽が流れていく。
そんな体験ができるのかもしれません。
そしてそんな体験をしているときは、熱心に自分の音楽に耳を傾けている素敵なお客様も景色の中にいることを実感できるかもしれません。

そんな素敵な演奏会を私もまた体験出来たらいいな…