昨日の地下鉄、途中駅から多数の女子高生が乗ってきて賑やかな車内。
ふと見ると一人の子が手に広げたその紙に「卒業証書」と書かれていました。
きっと素敵な卒業式が執り行われていたのでしょう、どこか照れ臭そうな晴れ晴れとした笑顔にあふれていました。
学校という場所は不思議なもので、いる間は色々面倒に感じたり先生方にも反発したりもしたことでしょう。でも国語数学などの学問だけでなく同級生や先輩後輩、先生方との関わる全ての出来事が生徒の成長に必要な学びの過程を経験できる場であって欲しいです。
私は大学卒業後、とある証券会社に入社し、証券アナリストの資格勉強を行なっていました。
当時は一次試験と二次試験があり、一次試験では証券分析とポートフォリオ・マネジメント、財務分析、経済の三科目。
でも私はなかなか一次試験すら突破できませんでした。

そんなある日、会社主催の試験対策合宿が実施され、私も参加させていただきました。科目ごとに担当の講師をお迎えし抗議していただきました。
証券分析と財務分析の講師の方はテキパキと要点をかいつまんで説明し、例題練習問題と試験勉強に即して進めていきます。しかしながら経済はおっとりとした高齢男性で使っているテキストこそ証券アナリストですが進め方はまるで大学の講義のよう。テーマ一つ一つに対しきちんと考え方から説明していきます。
どちらが良い悪い、どちらが正しい正しくない、で論じられるものではないと思いますが、先生方の教え方の違いの一つの要因は教師としての在り方だったように思います。
前者の先生方は主に、試験対策。
・こういった問題文に対してはこの公式を使う。
・公式通りでは電卓10回叩かないと答えが出ないが、この計算式を使えば電卓3階叩けば答えが出ます。問題を解く時間が何秒節約できます。
後者の先生は講義形式。

・こう書いてありますがなぜそのようになると思いますか?

この合宿の目的は限られた時間の中での試験対策ですから、講師の先生方の教え方が必要されていた内容だったのでしょう。しかしこうした受験テクニックは受験が終わればもう必要のないものです。
講義形式の先生は明日の試験には役に立たない教え方かもしれません。しかしながら証券会社という経済界で働く人間として経済学の考え方を丁寧に学ぶことは、5年後10年後に必要かもしれないしもしかしたら一生必要としないかもしれないけれど、単に結果を詰め込むのではなく「なぜ」と問いかけ続けてくれたその人は「教師」だったのではないかと思います。
私たちは「アレクサンダーテクニーク教師」と名乗っています。

時に教師だなんて大袈裟なのではとか、教師と名乗るに値するほど自分は学んでいるのか?と日々自問自答していますが、それでも教師として生徒さん達と向かい合っていきたい。

アレクサンダーテクニークは分かりにくいものです。
もちろん謎かけではないので、出来るだけ生徒さん一人一人が理解していけるよう努力は惜しみません。
でも必ずしも「分かる」必要があるのでしょうか?
今日のレッスンで分からないことがあれば、それは生徒さんには消化不良に感じるのでしょう、それはよくわかります。でも例えば、消化不良を解決するために消化にいいものばかり与えていては、子供のあごの発達が阻害されたり必要な栄養素が足りなくなってしまいます。

どうぞ4月からの新生活では、「100%分かる」事を自分に課すのではなく、「分からない事と一緒にいる時間を楽しむ」ことにチャレンジするという新年度の目標を掲げてみてください。