ロンドンの旅 その3
先日無事にロンドンより帰国しました。
やはり2年ぶりのロンドンはお気に入りのお店が閉店、ビルが一棟立て直し、などいろんなところで月日の流れを実感することになりました。
今回の旅の目的はアレクサンダーテクニークの勉強でしたが、せっかくなので今回のロンドン旅行全般を気の向くままに書いていこうかと思います。
=====前回の続き=====
今回の旅の一番の目的は原点である自分の学校に戻ること。
という訳で今回は一週間毎日自分の学校におじゃますることにしました。
私の卒業した学校はロンドン中心部、メイフェアと呼ばれる高級エリアやセルフリッジと呼ばれるオシャレデパート(日本でいう伊勢丹?)の近くにあります。
この素敵な建物の最上階のスタジオが私たちの学校です!
現在はdanceworksというダンススタジオですが、実はここはアレクサンダーテクニークとしては歴史のある場所なのだそう。
当時の私の語学力があまりに低かったのでもしかしたら聞き間違えていたのかもしれませんが、その昔アレクサンダーテクニークのレッスンを受けてとても感動したある生徒さんがアレクサンダーテクニーク普及の為に現在の学校のある場所を提供してくださったそうで、Dr.バーロー氏のオフィスがあったりみんなが集まることの出来るアレクサンダーテクニークセンターとしても機能していたそうです。
私の校長先生は今でもこのビルの2階にレッスン室を持っており、レッスンで使うテーブルはDr.バーローが実際に使っていたものだそう。
土地の所有権がある生徒さんからその方の息子さん、お孫さんと代が変わる中で建物もダンススタジオに変わり、私たちは4階(最上階)のスタジオの一室で毎日勉強しています。
卒業後ロンドンにある他のアレクサンダーテクニークの学校も見学させていただきました。どの学校もそれぞれ素敵なところがある中、改めて私の学校の好きな所、自慢出来る所を考えると、一つはやはりこの建物・立地の魅力はとても大きいです。
- 立地がロンドン中心部で便利
- 4階から見える景色
- 高い天井
- 広くて大きい一面の鏡
立地はロンドン中心部で学校帰りにショッピング、誘惑も人通りもとても多くて飽きることがありません。目の前にはオシャレなデパートセルフリッジ。年に2回のセール期間はオープン前から大行列です。セルフリッジの前に広がるオックスフォードストリートはクリスマスシーズンになるとイルミネーションが輝きます。
そして教室から見える外の風景!
アレクサンダーテクニークはよく禅や瞑想と似ていると言われますが、決定的に違う所は目の使い方だと私は考えます。
日本では半眼でより自分の内宇宙を見つめるかと思いますが、アレクサンダーテクニークでは普通に目を開け、自分と自分の周りの空間や景色を認識するようにしています。
この違いは、アレクサンダーテクニークが単なるテクニークとして特別なものではなく、むしろ日常生活と同じように目を開けてワークを積むことで、よりアレクサンダーテクニークが日常生活・音楽活動・運動全ての活動において同居出来る、実践出来る有意義なワークだと言える理由だと考えます。
FMアレクサンダー自身は、自宅のレッスン室にステンドグラスを飾り、常に生徒に「何か綺麗なもの、興味のあるもの」をみているように、と言っていたそうです。
学校の窓からこんな素敵な風景が広がっているなんて、本当に素敵なことだと思ってます!
天井もロッジ風というとわかりやすいでしょうか、とても高い三角屋根です。
日本でテーブルワークをすると日本の住宅建築事情を考えれば仕方かないのですが、天井までの距離が狭いので、目を開くと天井や電球の光が思いの外近い距離で広がって入ることを痛感しますが、学校でテーブルワークを受ける時は本当に天井が高く広く、やはり自分の身体の広がりや、自分と空間の関係性などを考えるとても重要な手助けとなってくれます。
そして一番懐かしいのは壁一面の鏡!
FMアレクサンダーは三面鏡の前で何十年も自分を観察し続けアレクサンダーテクニークに至りました。
私もスタジオに大きめの鏡を用意していますが、やはりこの壁一面の大きな鏡はよりいろんな情報を教えてくれます。
自分がどう立っているのか、どう歩いているのか、どう座っているのか、どうワークを受けているのか、どうワークを行なっているのか。
鏡自体は私が良い・悪い、という批評をすることなく、今私の取っている行動姿勢をそのまま映し出してくれます。
そのままの現実を受け入れ自分を考える。
アレクサンダーテクニークにおいて鏡は大切なパートナーです。
私の学校はロンドンのアレクサンダーテクニークの学校の中でも生徒数の多い部類の学校です。他校ではもっと少人数の学校も沢山あります。イギリスSTAT(イギリスのアレクサンダーテクニーク協会)では、学校運営に関し厳しいルールがあります。そのルールの一つに教師の数に対するルールもあります。学校の教師は学校の生徒数に応じてとても厳しく設定がされていますので、生徒が多いから学校の先生から指導を受けられる機会が減る、などということは起きないように配慮されています。
その上で、やはり少人数の学校のメリットとしては校長先生の目が隅々まで行きわたり、アットホームで一つのテーマをより追求して学ぶことができるのかもしれません。それに対し私の卒業した学校は年齢も国籍も多様な学生が在籍、いろんな個性・いろんなボディタイプが混在しとても賑やか(もちろん学習時はみなさん真剣ですよ!)。そして毎日4人、毎日出勤の先生もいれば週一の先生もいらしたので1週間では7-8人の異なる先生から教えていただくことで、アレクサンダーテクニーク教師の個性と多様性を学ぶことができる学校だったと思っています。
特に私にとってとても貴重だったことは、先生方の個性を超えたもっともっと深い部分では必ず何か共通しているものがある、発見できたこと。
ーあの先生はいつも足幅を広くとるよね、あの先生はこの先生より深い角度で座らせるよね。ー 先生方の違いに気づくことはとても簡単なことです。
人によっては説明の仕方も手の使い方も真逆に感じるような時も。
でも全く違うアプローチに見える先生方のワークのとても深いところで何か共通するものがある、それこそが全く違う個性の先生方みんながアレクサンダーテクニーク教師である証であり、私が学ぶ事柄がなんなのか?言葉より深いところで認識することができました。
今回4年ぶりに学校に戻って痛感したここと。
それはチューニングの必要性。
学校を離れ、ロンドンを離れ。日本でも自分なりに学習を積み重ねてきたつもりです。
その学習の積み重ねは時に自分の中でバラバラに点在していて時に相反するもののように感じたりしていました。
しかし今回学校に戻り、自分のかつて学んだ場所で今学んでいる学生たちとともに過ごすことで少しずつ自分がチューニングしていくことが分かりました。
自分がチューニングされていくと、自然と周りとハーモニーを重ねやすくなる。
そうすることで自分の中で点在していた今までの学びがふと繋がり重なる・・・。
あぁ、アレクサンダーテクニークってやっぱり楽しい!
英語と日本語、言葉も違うし文化も違うけど、アレクサンダーテクニークのハンズオンワークでは人間の「手」を介してコミュニケートします。その「手」を通したコミュニケーションの大切さを改めて実感しました。
私たちは言葉を通して社会を形成してきた。言葉はとても重要で、でもだからこそ言葉に惑わされ傷つけられる。
私も今でも人の些細な言葉を深読みし傷つくことばかりです。
でもだからこそ、この学校で学んだ「手」を通したコミュニケーション、言葉を超えた人との繋がりを大切にしたい、と改めて考えることができました。