手の中の卵 -脱力とイメージ-

学生サークル活動では、オーケストラサークルに参加しました。管楽器は中学・高校の吹奏楽部で経験されている人が多いのですが、ビオラ・チェロなどはとても経験者だけでオーケストラを構成できる人数は集まりません。また昔からバイオリンが弾けたらなぁと憧れを持っている人も少なくなく、弦楽器は毎年数人は初心者の方がいました。
その時に聞いた言葉です。

「チェロの弓を持つ際は、ぎゅっと握らず、手のひらに生卵を包んでいる感じで」

「ぎゅっと握ると卵つぶれちゃうよ!柔らかく持って」

これは決して珍しい指導ではありません。
初心者には弓という細長い棒を指先で細かくコントロールすることはとても難しく、ついつい無駄な力がかかってしまって握りつぶしてしまいます。そこで「卵」が登場します。ここでの卵は暗黙の了解で生卵です。つぶれると中身が飛び出しべちゃべちゃになる、無意識にそのべちゃっとしたイメージが頭に浮かび、その惨状を回避するべく潰さないよう潰さないよう、無理に指や手を押し広げて持つ訓練を始めます。

こういった声掛けは弦楽器だけではありません。
ピアノを引くときでも、手を卵の形に、と指導された経験者は決して少なくないはずです。(私もそういう指導を受けた一人です。)

クラリネットという楽器は前歯をマウスピースの上に置き全体を口で加えて吹きます。
中学生の時に一日だけ「プロ」の先生が指導に来てくださいました。先生は私たちを一列に並ばせて一人ずつ音を出すように言いました。すると先生は一人ずつ順番に音を出している生徒の楽器を引っ張り出したのです。ある人は楽器が口からなくなり音が出ず、ある人はそのまま音を出し続けました。
一通り終わると、「楽器が離れなかった人は噛み過ぎ。口から抜ける位でいい」と説明してくれました。

おそらく先生は演奏中の脱力ということを伝えたかったのでしょう。
しかしたった一日だけの指導で中学生たちに一体何が理解できたのでしょうか?

アレクサンダーテクニークの教師となった今、あの時の先生の指導の本当の意味とそのあとに起きた現象はとても興味深いです。
中学生だった私たちは、翌日からまるで椅子取りゲームか何かを楽しんでいる感覚で、隙があれば演奏中のお互いの楽器を引っ張り合うようになりました。抜けることが良い事だ、と思っていたので、出来るだけ噛まないよう”ゆるゆる”になるように口を変えていきました。

演奏中の脱力はとても大切な課題です。
しかし「脱力」の意味が理解できていなければ、単に口周りの力を抜くための努力に終わり全体のコーディネーションを失うことに気づきません。ある人は口の周りの力を抜くために喉や手や肩に無駄な力を籠めるかもしれません。ある人は口の力を抜くために全身の力を抜いてしまい、丸まった姿勢でしか楽器を持つことができないかもしれません。

こういった「脱力のためのイメージ」は一日二日のアドバイスですぐに適応できるものではないのです。
きちんとした指導者が定期的に楽器の習熟度を観察し指導する中での「スパイス」としてなら有効なのでしょう。でも現実は「卵をつぶさない事」「楽器が抜ける位緩く銜える事」が目的と勘違いしてしまうことが多いのです。その意味で「イメージ」を使った練習方法は誤解を生みやすい方法だと考えます。

先日のランナーの生徒さんが書いてくださった日記「アレクサンダー・テクニーク流腕振り方法考 1.0」において、生徒さんは最初に、手のひらを上に向けて走ってみた、と書いていました。手のひらを上にして腕を振るという動作は、あくまで腕の動きを知る一つの動作でしたが、おそらく彼の中ではその「イメージ」が最初に頭に浮かびそのイメージを再現することからスタートしたように思われます。
しかしながら生徒さんは自ら、「考えるべき事は手のひらが上か下か、ということではない」ということに気づきます。
そして「腕降りはこういうものだ」という無意識の思い込みに疑問を抱き、今まで通りの「腕降り」で実際に自分に起きている反応を観察していました。
今後の彼の学びの過程がとても楽しみにです。

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